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池波正太郎 日曜日の万年筆

 

私は池波正太郎の書いたエッセイが好きだ。時代背景は主に戦前の昭和の東京について書かれたものが多い。浅草、茅場町、兜町、銀座、日本橋など彼の生活基盤の中での人間観察、人情について、食べ物のこと、などが多く書かれているのだが、物質的には今の東京よりずっと質素で暗そうなはずなのに、むしろ人間の暮らしている感じはむしろ今より健全で明るい感じがする。その当時の東京の人情味と、やはりどこかさっぱりしていて豊かな感じが伝わってくるのだ。

 

吉田健一が同時代のハイソサエティに属する作家だとすれば池波正太郎は東京の下町生まれの庶民の作家である。二人の共通するところは読んでいてとても豊かな気分にさせてくれるところである。心の棘が抜けてまろやかに円熟していくような感覚が心地良い。吉田健一が外国文学といったアカデミックな知識と経験からくる教養の豊かさがあるのに対して小学校しか出ていない池波正太郎のエッセイはおそらくこの人が元々持っている素養、育てられ方(周囲の人間に優しくされて育った人が持つ品の良さ、やさしさ)からきていると感じる。人間への観察、まなざしが素晴らしく、読む人の心を温かくしてくれる。それでいて戦前の生粋の東京人らしい“粋”が備わっていて、実にまろやかでどこか慎ましい。

 

このエッセイの“子供の頃”という章は特に好きで、彼が祖母や曾祖母までいるような家庭に育ち、多くの大人の愛情を受けて育ったことや、自分を育む東京の街へのそこはかとない愛が文章にじみ出ている。話の中で、曾祖母が死に際においても普段通り子供たちへのやさしさや気配りを保っている様子や江戸っ子としての言葉使いなど、別のエッセイ “たいめいけん”の主人の亡くなるあたりの描写と同じくなんと軽妙洒脱なことか。人生を恐れながら小難しく生きてきた私にとって、市井の人間が生きて暮らして死んでいくという当たり前の中にある愛情や人生の楽しさ、軽やかなな生活態度の素晴らしさを、さりげなく伝えてくれるエッセイ集であり、休日、コーヒー傍らに読む味わいは格別。

20230305